<< 大徳寺の曝涼祭 : 牧谿筆観音猿鶴図 | main | ムンク展 >>
現代美術の皮膚

芸術と生命


国立国際美術館で開催されている「現代美術の皮膚」を鑑賞しました。

ブースごとに参加作家の作品が展示されています。
小谷元彦さんの"SP2 NEW BORN VIPER"がどのようなものかとっても気になっていましたが、真正面からだけでなく、後ろからみても見飽きない上質な抽象画のように感じました。
アルミの平面にハリネズミのような無数のとげが否応なく、痛みを感じさせます。
優雅なフォルム、有機的な曲線は鑑賞していて心地よいです。
細部の骨格の構造にも目を見張るものがありました。

たんなる骨のようなものが有機的なフォルムで表現されることで
実に生き生きとした生命を感じさせます。

命・・・、そう、今回の企画展示に共通するテーマとして、現代に生きる私たちの生命そのものが含まれているかと思います。
美術館側のガイダンスに記されている「内と外」というテーマはあくまでサブに過ぎないと思います。
ありとあらゆる命がテーマ。
そしてこのことは、倫理とも関わるやっかいな問題です。

オルランさんのドキュメント写真は一見「痛々しい」ものでした。
彼女は自身の整形手術を衛星などの伝達手段で多くの人たちにオペの過程を公開するというパフォーマンスを行なっています。

作家自身が医師に自身の皮膚を預け、皮膚の形状を変えるパフォーマンス。
これをすでに9回彼女は行なっています。

人の、精神・・・、容貌や容姿へのコンプレックスから、行なわれる整形手術。
皮膚への人の関心は、心や命の問題と切り離せられないものであることを、彼女の作品は突きつけます。

ヤン・ファーブル。彼は、昆虫たちを自身の作品に取り込み作品としています。
大量の昆虫たちの死骸の集積は確かに抗えない魅力があります。
これが虚無に通じる世界観であったとしても、不思議な印象が残ります。
彼の生きた土地が戦場であったと言う言説を抜きにして、現代を生きるということの意味を深く問いかけてくる作品として成功していると思います。

生命と芸術の関わりを強く意識させられる展示です。
シャーマニズムから芸術が生まれていく過程で生命はどのように扱われてきたのかを改めて考えさせられます。古代エジプトのミイラ、古墳、城門の壁への生柱。生け贄。
強烈な思想や為政者の願望から、人や動物の生命と引き換えに、多くのものが建設され、開発され、創造されてきた人類史。
生命の代償と引き換えにアートに献身するというのもひとつの方法論です。
しかし、今回の展示の全体の印象にも通じますがどこか、疑念が残ります。

自他、プロセスの違いはどうあれ、生命という事象に対して参加作家の大半がどこか無邪気すぎる気がしてなりません。率直にいえば、あまりに制作動機があさはかに感じます。
あまりに私小説的レベルに終始している。

それが、現代のシャーマン(アーティスト = シャーマン)の流行りなのか、と捉えることはできます。
技術はどの作家もすばらしいのです。
どこか虚無の傾向があり、作家自身が救済されるためのヨリシロとして作品が制作されたのではないか。
あるいは、カオスや混淆を押し広げるための儀式として、今回の展示を位置づけるべきなのかも知れません。

見方によっては、グロテスクでもあり、エロティックでもあります。
その中には、嗜好を超えて、それが残酷であれ非情であれ、美しいものがあります。
芸術がこれまでの歴史で人、動植物といったあらゆる生命に対してどのようなことを要請してきたのか。

今回の展示は私にそのことを再考させてくれました。
シャーマンの生命や倫理、美意識、欲望や願い。
現代美術の今後の行く末を考える意味でもとても参考になる展示だと思います。
つまり、今回の展示には確かに虚無の痕跡があるからです。


| 大阪の展覧会 | 22:12 | comments(0) | - |
コメント
コメントする