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麻田浩展 : 京都市立美術館

心の原風景を求めて


展覧会のポスターが目に留まりました。

そこには、風景がありました。
グレー調のくすんだ遠景に見える湖。

ダブルイメージが交錯する風景。

フィラデルフィア美術館展を
観ようと思ってたのですが

巨匠らの凡作よりもひとりの作家の軌跡をみてみたいと
思いました。

作品はさまざまな技術を用いて
画面の中でイメージを追求していくものでした。
それらはヨーロッパの古典絵画の影響下での方法論です。

初期のアンフォルメル作品などでのマチエールの追求は、
原風景を描いていく後期の作品にも確認できます。

人の居ない風景。
人の存在を剥ぎ取られた風景。

逆説的に、氏の描く風景には
人の不在、ディスコミュニケーション、ディタッチメントをあぶり出しています。

神無き時代に闇雲に
砂上を歩きながら
井戸の水を探し出すような仕事だと思います。

鑑賞者はこのように認識して差し支えないでしょう。

即ち、実際に氏が画面内の
階段を駆け上り
残骸をかき集め
千切れた布をまとめ
小さな生物たちの足取りを観察したのだと。

氏が自ら命を絶った今もなお
その原風景を絵という装置を通して
私たちは風景を目にすることができます。

ここで氏の心の変遷を追体験するだけではもったいない。

その装置をもって各々が
各々の風景をつかみにいけばいい、ということでしょうか。

なぜ、氏の絵画作品の多くが
モチーフに水を必要としているのでしょうか。


凡作も実際に多い。そう思います。
しかし、確かなことがひとつあります。

巨匠と言われる人たちには表現できない世界を
麻田浩氏は表現している(表現しようとしている)。
ということです。

風景は永遠に黙したまま。
誰にもさわれない風景なのかもしれません。

| 京都の展覧会 | 23:59 | comments(0) | - |
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