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林勇気 個展「やすみのひのしずかなじかん」

想像上の、ゲーム ・ 記憶の中の、ゲーム ・ 現実の、ゲーム


京都ニュートロンでの展覧会が京都ニュートロンにて行われています。

ファミコンを小・中学校時代に遊んだ方には懐かしいものでしょう。或いはこの展覧会は現在のプレイステイションポウタブルやウイー等に慣れ親しんだ世代の人たちにとっては新鮮に映るものでしょう。

今回の林さんの手法は、実写の人物や、風景といった映像をパーツとして切り取り、映像の中に作家さんの意図に基づいて緻密に再構築するというものです。



映像は、「あるひとりの人物」(主人公的な役割)がただ淡々と歩いたり、泳いだり、噴水にプカプカ浮かんだり、倒れたり、倒されたり、飛んだり、落ちたり、…いろいろなことが起こります。様々な行為の意味合いは、薄くなり、現実があたかもファミコン時代のドラゴンクエストのようなRPGの雛形の中にフィクション化しているように思います。
よって、作品からは非常にフラットな印象さえ持ちます。しかし、じっと作品を観ているとそのなかで「たいへんなこと」が起きています。にもかかわらずカタストロフもアパシーに扱われ他の結果と並列化されています。
抑制というのが、作家のテーマなのでしょう、作品は、印象に残ります。
これら映像作品は、展示会場の条件もありましてか、繰り返し、ループして、プロジェクターから壁に映し出されています。その映像の「パーツ」を会場の奥で確認できます。

ループし続ける映像を見ていますと、人類の行為そのものを俯瞰的視点で眺めていることに気付きます。これはファミコンに興じていた世代がゲーム中に自己陶酔していたポジションと近似です。しかし、観客が入る込める余地は極めて狭まれます。なぜなら、そこに映し出されるのは、「あるひとりの人物」(主人公的な役割)の物語であって、観客と主人公は同一人物ではないのです。

作品からは周到に意味性を削ぎ落とされ、緻密に私事を抑制しています。或いはここで示されているのは単なるコミュニケーションの距離性ではなく、欲望や本能といった人の持つ本質的な感情を探るアプローチなのかも知れません。

見終わったあと、会場を出ようとしたおり作家の方とお話しすることができました。作品の素材、つくるプロセスを事細かに教えていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。
伝えそびれましたが、個人的にはもう少し、作品に大らかさが欲しいと感じました。個々人の好みの問題なのかもしれませんが、あまりにフィクションが現実的に感じられ、RPGの雛形のようであっても「ファンタジー」ではないように思うからです。人物の手の振りの速さが不穏な感覚をアジテートする効果も果たしているようです。

…、実際に所有欲をそそられる方も必ずいます(いると思います)。映像制作のクオリティはすばらしいです。

以下、展覧会情報です。

2007年5月15日(火) 〜 27日(日) ※24日 (木) は定休日
午前11時〜午後11時 (最終日は午後9時まで/入場無料)

gallery neutron
京都市中央区三条通烏丸西入ル
文椿ビルヂング2F


※展覧会場は店内カフェレストランと接してますが自由に入れます。

P.S.
ニュートロンのギャラリースタッフの方、若沖の絵画作品の国際的コレクターであるジョー・プライス氏の公開講義をご紹介いただきありがとうございました。(講義の詳細は後日アップします)

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