プライスコレクション「若冲と江戸絵画」展/愛知県美術館

eccentric & fantastic


プライスコレクションの日本での展示も終盤を迎えています。6月10日まで愛知県美術館で開催されています。
動植綵絵同様、ザ・プライス・コレクションの展示もしばらく行われないだろうと考えます。

まず、展覧会の印象です。
コレクションの内容がすばらしいということに尽きます。ジョー・プライスさんがアメリカの古美術店で「発見」した葡萄図、2時間、見ていても飽きません。
これは若沖初期頃の作品にあたるものですけど、まるで絵のなかの葡萄は今にも食べられそうなみずみずしさです。墨のグラデーションの幅だけで、彩り豊かな画面を作り出しています。とても大好きな作品です。

そして「鳥獣花木図屏風(ちょうじゅうかぼくずびょうぶ)」は様々な示唆を与えます。独創的なこの技法が江戸時代に試みられた事実。おそろしいことですね。
2007年現在の今個の作品を見てみてもとても独創的な技術です。
升目(ますめ)描きで点描の視覚効果とは似ても非なる、空間感をつくっています。近景〜中景の遠近がおもしろいのです。なんと言っても、写生のアプローチとその画面が濃密です。これに若沖の色彩感が加わるのですからたまらない。

明治維新後、日本の画家らが、西洋の絵画技法を貪欲に取り込んでいったのは善かれ悪しかれ周知の事実です。江戸期に若沖や抱一等の成した独自性がその後の日本の美術史の中に埋没していたことは残念で仕方ありません。
けして文化の混淆を避けるのではなく、素晴らしい伝統や慣習までも黙殺するべきではなかったのではないかと考えさせる作品です。
伝統とは何か、進歩とは?独自性とは?――鳥獣花木図屏風は、現代を生きるすべての人に様々な示唆を与えます。
クリエイターに限らず多くの人に、鳥獣花木図屏風で達成した若沖の軌跡は再考の価値があります。

他にも水墨画も展示しています。
若沖の軽やかな描線と、暴力的に感じられるくらいに簡略化された鶴や人のフォルム。
これはもうデフォルメなんて形容では済まされないものです。
まるでジョアン・ミロの絵画のようなシンフォニーを感じます。(ファンタジックな浮遊感でも共通する気がします)筋目の技法もあざといぐらい絶妙です。
第一級の抽象画のようです。

まだ観ていない人がいらっしゃったら是非観てほしいです。18世紀の日本のなかで芸術の前衛として活躍してた若沖の絵画世界を堪能できる最後(当分しばらくの間)のチャンスですからね!
ジョー・プライスさんの展示灯の明滅する装置にも驚きます。本当に絵が好きな人が考えだせうる装置ですね。

| 名古屋の展覧会 | 01:35 | comments(0) | - |
アルテ・ポーヴェラ

豊田市美術館。
昼、駅地下銀座ライオンにてミソカツを食べます。

三時ぐらいに豊田市到着。展示は充実してました。
しかしどこか難解。
それをちゃんと理解したいというのもあり、カタログ片手に一個一個の作品を鑑賞。

「アルテ・ポーヴェラ」貧しい芸術。
簡素で、何か内蔵した静謐なエネルギーを確かに感じました。
自然と対峙するということは違う、人間の人間によるアート。

関係性、相互性は不可避です。
どこか「モノ派」に通じるものもある。

何と言ったってあの美術館の「ハコ」としての機能性がよいと思います。
若林奮先生の個展のときも感じたことではあります。

| 名古屋の展覧会 | 01:11 | comments(0) | - |
旅 豊田市美術館/キンダガルテン 三重県立美術館/安井曾太郎の没後50周年展

23日、24日と→伊勢→津→豊田と廻った。その中で考えたこと感じたこと。
(最近読んでた安部公房氏の『死に急ぐ鯨たち』の影響は否定できない)
何となく旅に出たくなり伊勢のビジネスホテル伊勢に宿泊する。昭和的な建物の佇まい。周辺の町もその色合いが濃密。夜の神社からは呪術的な太鼓の鼓動が聞こえた。なんか下手かったから練習だったろうか。伊勢についてすぐに感じた違和感――それは「匂い」だ。言葉で説明するのは至極困難だが土のような…匂い、雨のような匂いだった。なんだかクラクラしたのだ。 〒〒〒号室からは観光会館が見え、地元の人達が祭りの練習をしていたようだ。この建物の作りは観光客を遮断するような閉鎖的な印象をもった。やはりは、伊勢も「聖地」ということなのか。
次の日、伊勢は曇り空。よくも悪くも出歩くに最適な天候。観光にはよくない天候。ヤジキタとかスケッチショウとかバーニーではないが大和神話の中枢である伊勢に赴くことに関して少なからず期待をしていた。何かメンタルな面に創造的刺激或いはヒントを得ることが出来るのではないだろうか、と。
しかし率直に言って僕には、この地が有害な、無価値なものであると言う風に結論した。

伊勢と言う地を踏んでいたせいか否応無しに美術、宗教、国家の歴史とその関係性を考えてた。
詳細は手書きのメモに記しているからそれを引っ張りだしてみれば、国家、美術、(文学)には権威、唯物性、求心性において共通項がある。産業革命以前、それらの項を繋ぐものが「宗教」であったとすれば、産業革命以降は「資本」に移行した。国家の性質がその繋がりの強化を図らなければ国家という形式の無効化を意味してるとき、美術もこれと同等である。クレメント・グリーンバーグが政財界の連中と何故つるまざるをえなかったのか、なぜ現代において、世界中の国家が国際展に力を入れるのか。資本を通じて国家は美術を国家戦略としてすでに理解している訳だ。どう考えても都知事が文化事業のソフトに関わるのは変だろう。搾取は人の歴史と平行してずっと続いているんだ。
結論→しゃーないな。(なんとかできんかな)

安井曾太郎の没後50周年展を三重県立美術館で鑑賞する。
アカデミックな仕事から晩年の独自の、奔放な画風に到達した画歴には素直に感動する。
しかし個々の作品が方法主義に陥っている風にも感じた。幾つか興味深い作品もあった。
西洋絵画を必死に日本の美術に翻訳した努力は創造を絶する。
彼の方法論は確かに今も一考に値する。
人力カメラアイからのデフォルメ…
彼が西洋絵画の「移植」に慎重であった証拠だ。

豊田市美術館でやってる、キンダガルテン。ヤノベケンジの制作に望む姿勢、その作品に通底するイマジネーションに驚いた。四千円の画集(DVD付き)も速攻買った。作品にタマシイカンジタ。
常設展で会田誠のあぜ道が観れたのはラッキーだった。
しかし話がさっきと重複するかも、だが、豊田市は自動車のすんごい盛んな地方都市。
「資本」と連携して今では、人に優しい、環境に優しい町づくりにご熱心だ。文化政策も力を入れている。美術館の所蔵作品の充実度は一地方都市としては考えられない程の充実度。
美術と資本はしたたかな共犯関係にある。

| 名古屋の展覧会 | 01:27 | comments(0) | - |
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