母の日どうしよ

「毎年花を贈ってくれるのはとてもうれしいんだけど、枯らしてしまって悪いから、今年はもう、送ってこないで」


そのようなメールを実家の母からいただきました。

枯れてしまう・・・。
私としては、いつかは枯れてしまう花というもの、を楽しんでほしかったと思っていたんですが、すべての生命を尊ぶ母の気持ちを思い出し、今年は別の何かを考えます。

思い出を共有するという意味合いで、旅行…、温泉、国内旅行も考えましたが、父の不在時に出掛けるのも何だか気が引けます。母は私同様、ブランドやジュエリー類にあまり関心を示さない方ですから、何か「思い出」「記憶」「美しい」その辺をキーワードに考えます。

まあ、私自身アートで生計を立てている(立てようと、している)身なので、アートに関係のあるものにしようかな、と考えます。

実家の内装に新たな息吹を吹き込むような新鮮さと同時に、ある種の懐かしさ(母はもう50代後半の方なので)を喚起させるようなものを考えます。

まず、いわさきちひろさんの画集、ジグソーパズルを思いつきます。母は黒柳徹子さんの「トットちゃん」が好きだったなと思い出します。「いわさきちひろ」・・・。うん、わるくない。

でも、もちろん私もいわさきちひろの作品は大好きですが小さな子供がたくさん登場することを思い出します。相も変わらず結婚願望の希薄な私としては、母に孫とか赤ちゃんということに思いを巡らさせてしまうのは少々厄介です(こういうことにかけては計算高いですね)。

思い留まり、いっそ母には全く疎遠なコンテンポラリーのアーティストの画集を送ってみようかなと考えます。
昨日なぜか普段決して見ないような・・・james jean、ray caesar、Mark Ryden、Trevor Brown、上田風子、ヘンリーダーガー、などの作品をチェックしていたので、このような濃厚なアーティストたちの作品は団塊の世代である母にはすんなり見てもらえなさそうだな、と感じます。
いや、アートとして素晴らしい表現なんだから、何も気にせず素敵な画集を送れば良いじゃないか!!とも一瞬思います。いや、そもそもこれは母の日のプレゼントなんだから、と思い直し、上記アーティストらは候補リストから外します(友人知人のバースデイプレゼントとかならばいいんだろうけれども)。

奈良美智さん、蜷川実花さん、高木紗恵子さん・・・「鮮やかさ」というのではOKなのですが、・・・。どうもイマイチ、直感が「贈りたい」と思えません。奈良さんの作品もパッと見ポップだけれども「ちゃんと」作品と向き合うと怒り、苛立ち、情念とかの負のエモーションが込められているからなあぁぁ、好きなアーティストだけれどもやめとこう。高木紗恵子さんの画集は手に入らないからあきらめよう。むしろコレは「絵」として贈るべきから、というよりそもそも絵として贈った場合、ずいぶんお金がかかることになるなぁ。蜷川実花さんの造花の写真集が綺麗だったのだけれども・・・、墓とか死とか重いテーマが根底にあるので、やめとこう。こういうシリアスな贈り物で父とケンカなんてもうこりごりだし。

無難な贈りもの?
そんなものはクソ喰らえ。
とは言え、たかが贈り物で夫婦喧嘩なんてウンザリさせられます。

母の日といえども、贈るからにはこちらもコンセプトとテーマは掲げてさりげなく贈りたいと思います。


「新鮮さ」「奇抜さ」「懐かしさ」・・・。最初のいわさきちひろさんのでもいいかなぁと思い直します。
いわさきちひろさんの作品もパッと見はかわいらしい、とかきれい、とか日本人特有の情緒面に働きかける効果はあるかと思いますが、戦争、子供を通して生命そのものにアプローチしていた彼女のライフワークは今も色褪せないと思い直します。それに、これなら、様々な視点から視ることが可能というところが、いいなぁと思います。てか、思いました。蜷川実花さんの死者に捧げる造花を暴力的な色彩で表現する作品集も気にはなりましてけれども、母は頭のわるい人じゃないから多分、ちゃんと作品に込められているものを読み取ってしまうでしょうし。そうなると・・イヤ。実家が暗くなる。でもいわさきちひろさんのさくひんだってちゃんと作品を視れば、大切な人の死や、失うこと、喪うこと、損なわれることが根幹にあるなぁ。いや、大丈夫でしょ、うん。

買う前にもう一度いわさきちひろさんの画集を見直します。
やっぱりこのタッチとか色のにじみとかパステルの線ひとつとっても過激に攻めてるなあ。戦後間もなく、戦争美術に精を出してた前衛芸術家たちや絵を書けなくなってた抽象画家たちとは別の場所で、絵本でもって、彼女は彼女の仕事をダイナミックにやってったんだ。うん、少女趣味で情緒に流されそうな面もいわさきちひろさんの作品にはあるのは事実かもしれないけれど、私は直感でいわさきちひろの作品を好きなまま。揺るぎようがない。(生命?命?ビョーク。)

コレを母の日に贈ろうと思う。枯れないし。
絵に描かれた花は永々に咲き続けるし既に死んでる。同義。水をあげなくても枯れないでもあれをあげないと画集の花は全て死に絶える。
ん〜、去年とコンセプトはあんまし変わらんよね。

アメリの小説を贈ったときよりかは喜んでもらえるとハッピー。
んん〜、父の日に毎年毎年ビールというの、ヤ。


| 考えたこと | 16:01 | comments(0) | - |
権力と金と芸術

昔、国家主体で五年の短い準備期間で作られた大阪万博。
今現在はパビリオンはなくなり、代わりに木々が繁茂している。

ゴールデンウィークの期間中、団塊の世代の夫婦や、その子供にあたる家族らが、それぞれ広い公園で休日を過ごしている。


日本の美術史を考える上で、万博を無視することはできない。

岡本太郎氏の「太陽の塔」は、単にそのシンボルであって、万博で起きた事件を明らかにはしない。
万博には、具体、モノ派、九州派、グタイピナコテカはじめ、当時の前衛芸術、現代美術が国家主体で召集された。
過去の美術手帖で北澤氏が指摘したかと思う。
戦争美術の始まる前の利己的な芸術観は「危険」なものだ。
それは個人の利己的な欲望の暴走へとつながりかねない。
しかし、その欲望は、屈折し、戦時においては権力と結び付いた。

明治新政府による近代絵画の技法の導入時と似ている。
技術の移植は、確かに日本独自の土俗性やサブカルチャーを排除しようと努めたことがわかる。
西洋の文明に追いつこうとする、羨望、向上心、焦燥もあったのかもしれない。
明治期、日本と諸外国の立場のパワーバランスは明らかに日本が劣勢であった。
日本の絵描きは、好奇心もあったかもしれないし、西洋文化の自然主義に根ざした空間表現に圧倒されただろう。
自分の国の浮世絵や琳派の直裁的な空間表現のクオリティを客観視できていなかったのかもしれない。
・・・、それだけ必死だったのだろう。
当時の芸術家たちも。マイノリティを許容する社会ではなかったかもしれない。



現在を生きる芸術家は、西洋絵画を模倣したことにコンプレックスを持ち続けたまま、芸術作品をつくっていても、いいのではないか。
文化は、その時代の権力のある場所に集まってしまう。
好き嫌いではなく、これは、摂理だ。
ルイ14世コレクション、後のルーブル美術館所蔵となる作品郡。
ナチス時代のベルリン(退廃美術と見なされていた)、日本の京都三十三間堂の木彫も当時の精鋭の職人らが作り上げた。
現在の権力の中枢はアメリカであり、ニューヨークのコンテンポラリーアートは今も世界でトップクラスだ。

しかし、他者の評価は一度脇に置いておいて、権力と芸術の関係を、わたしは図式のみで考えつづけてみたいと、思う。
人の歴史を振り返れば、「辺境」と呼ばれる場所ででも、権力とは関係なく、作品は生まれる。
古代エジプト、ポンペイ・・・文化のありしところに、例外なく権力は存在した。

権力と芸術を切り離して考えることはできない。

自閉、総合失調症などの「精神の狭間」で生きる人たちの作品には権力などにはお構いなく、魂が宿っている。
理屈でなく、ひとつひとつの作品に圧倒される。
その後すぐに、ニューヨークで流行りのアーティストの作品を見ても、同じような感動は、あまりない、ときもある。
アウトサイド、と他者が揶揄しても、彼等の作品には、圧倒的な世界観がある。
もちろん、それは全てではない。
一部に過ぎない。

この文章に答えは、ない。
権力と金と芸術。
マントと、屋久島と、豊臣秀吉。私のオブセッションに過ぎないのか?

| 考えたこと | 20:13 | - | - |
シェイクスピア物語構成の妙について
シェイクスピアは、アツい。


人物設定…主役と脇役の人間味、その役割
    ↓
    物語の根幹となる伏線の配置
    抒情詩的風景、非合理、自己矛盾の愛の情熱

 ※結末の悲劇性

  劇的構成、映画的切り割り
       連続的印象、舞台特有の複式舞台
             立体性を極度に利用
  激しさ、迅速さのイメイジ         インターレスティング

 ※悲劇の理念…外在的運命の悲劇を強調している

  人生の暗遁さ、憂鬱とか、疑惑とかの影を微塵もとどめない
  この奔放、豊麗な恋愛悲劇の存在は、蓋し異色あるものでなければならぬ。

  主体の見込み。
| 考えたこと | 18:13 | - | - |
アメリカ抽象表現主義について

REPORT FOR AMERICAN ABSTRACT EXPRESSIONISM


創造と生活環境は常に密接な関係を持ちます。「生活環境に関わりを持たない創造」なんてありません。
そこでこのレポートでは抽象表現主義を三つの章に分けて考えたいと思います。
  
第一に、なぜその時代に於いて「文学」「映画」「彫刻」という形態ではなく絵画というカテゴリーの中で抽象表現主義は起きたのか
第二に、ジャクソン・ポロック、フランツ・クラインなどの例をあげ、「抽象」と「表現」の関わりを捉えて抽象表現主義を代表するアーティスト達の果たした役割、その特質を紐解きます。
最後に、抽象表現主義は結局何が凄かったのか僕なりの意見を添えたいと思います。

 第一に、産業革命後の社会の中で、多ジャンルを巻き込むことなく絵画という限定された装置でのみ、抽象表現主義なるものが起きたのは、何故でしょうか。
(ここでの議論は、その時代の運動であって、その当時の抽象表現主義にインスパイアされた彫刻だとか、後世の明らかに抽象表現主義の影響下にある映像表現、彫刻表現は度外視します。)
 まず、初期頃の抽象表現主義のアーティスト達(ゴーキー、ロスコ)に制作のヒントを与えたオートマティスム(意識下の非合理な領域に入る方法)、これはシュルレアリスムの特徴です。
シュルレアリスムは、ダダによる否定と破壊の精神を受け継いで、美術、詩、文学、政治などの広い範囲で想像力の解放と合理主義への反逆を唱え、人間自体の自由と変革を目指しました。
 シュルレアリスムの洗礼を受けたはずの抽象表現主義のアーティスト達は何故「美術」の周辺で留まり他の映像などの他分野と連動しなかったのでしょうか。
 その答えとして、アンドレ・ブルトンのような統一された理論・美学を持っていなかったから、といえると思います。
加えてシュルレアリスムと抽象表現主義とを比較すれば前者が具象的イメージを伴うのに対して、後者は、徐々にそれを払拭しようと努めたことです。
(これはとても重要な違いです。当時の観る側は、具象的イメージの払拭されゆく絵画を古典絵画を鑑賞するように捉えることが出来たのでしょうか。)
古典絵画が平面上に三次元の似姿を表現してたのに対して、抽象表現主義のアーティスト達はアーティストの内面に在った、或いはアーティストの理想と思う「場(空間)」とか「(ジェスチャーによる)痕跡」を表現します。
アーティストは直接対外世界を感じ取るのでなくて、タブローは、意識下に在ったのです。
 整理すると、抽象表現主義のアーティスト達は個人主義に立脚し統一した理論・学問を持たなかったので、抽象表現主義は他分野を巻き込まずに「絵画」に留まった、と言えるでしょう。
 
 第二に、具体的に幾人かのアーティストに目を通してみます。
 まずジャクソン・ポロックですが、彼の特筆すべき点は素材の選択にあります。
WPA(公共事業推進局)での仕事でスプレイ・ガン、エア・ブラッシュなどの新素材を用いることが、彼に素材選択の幅を広げさせ、また、ドロッピングの際にチューブ入りの絵の具よりも、商業用の缶に入った塗料や速乾性の樹脂系絵の具を用いることは、アメリカという生活環境の中で七年間WPA内の壁画工房で働いたポロックにとっては、慣れ親しんだ素材の選択だったと言えるでしょう。
加えて、壁画制作の経験を通して彼は身振り手振り(ジェスチャー)を重視した即興的な痕跡を残すために、イーゼル、パレット、絵筆にこだわらず、キャンバスを寝かした状態で制作したりしました。古典絵画の制作過程に於いては常識を超えてます。
 さて、話が前後しますが、「抽象表現主義」の「抽象」と「表現」の意味することは何でしょうか。この二つの一見矛盾した言葉で成り立つ絵画運動は、二つの特徴があったと考えるのが自然です。
しかし‥‥‥、細かいことを指摘しますが抽象表現主義を「線で描く」派、「空間で描く」派と断定的に区別して考えるのは不十分です。
明らかに個人が、その個人のリアリティに根ざした作品を制作してたことを鑑みれば、例え彼等が互い互いに親交深めていた事実を考慮しても抽象表現主義は多種を極めたはずです。 
 例えば「線で描く」派に属するとされるフランツ・クラインですが、彼がジェスチャーによる筆触の痕跡を特徴とするのは一目瞭然ですが、そのタブローのアイデアの源泉としてごく小さなエスキースがあったことから、全制作をジェスチャーで行ったかは疑問です。
エスキースは空間の考察が伴うものです。
以下「表現」を「ジェスチャー」と、「抽象」を「空間」又は「場」と、勝手に書き改めたいと思います。この方が意味が幾らかわかりやすいと思いますし語弊を生み難くするかと思います。
 具体例に話を戻しますと、個人的偏見、誤解かもしれませんが、フランツ・クラインは小さなサイズのエスキースを大画面の白い画面に異化してみせた、微視的なものを巨視的にしてみせたと言えるかと思います。
このことから、クラインはジェスチャーによる筆触の痕跡同様に、展示の場として成立する空間にも重点を置いていたのではないのでしょうか。
 先に挙げたポロックについても、ジェスチャーによる痕跡を、空間性と結び付けて制作したのは明白です。
また彼は、素材の選択で様々なファウンド・オブジェクトと絵の具とを同等に扱ったりもしました。
結果的に彼は実に「物質的な」絵画を制作しましたが、この議論は最後の章に譲りたいと思います。
 強調しておきたいことは「ジェスチャー」と「場(空間)」、言い換えれば、「抽象」と「表現」、は、言葉としては矛盾してるようだけど、いちアーティストの中で互いに連動し強く結びついていて絵画を制作するために不可欠な要素だった、ということです。 

 ここで「抽象表現主義」をまとめてみます。
表層上の判断から大雑把に二つのグループに大別可能ということ。
 一つ目は、内面的な精神性の空間表現に重点を置いて具象的イメージを排したグループ。
作品はアーティストの内的表出物であるのでなく、アーティストが作品を制作する過程で世界に出会うように、観る側も作品を通して世界に出会う装置、媒介物を制作したといえます。
(バーネット・ニューマン、アド・ラインハート、マーク・ロスコ、クリフォード・スティル)
 二つ目は、アーティストの制作におけるジェスチャー(身振り手振り)の痕跡に重点を置いた、具象的イメージを伴うグループ。中心とか、地と図の境界のないオールオーバーな絵画もこれに含みます。  
(デ・クーニング、ジャクソン・ポロック、ロバート・マザウェル、フランツ・クライン、フィリップ・ガストン)
 
二つのグループ共に共通するのは圧倒的に巨大な画面です。
 これらの個々人の制作に立脚した絵画運動を総称して「抽象表現主義」と言います。
このことを踏まえて抽象表現主義の果たしたことが何だったのかを最後の章のテーマにしようと思います。

 抽象表現主義の革新性は絵画の機能の幅を広げたことです。
 抽象表現主義絵画のうち、色彩を主たる表現手段とした空間表現(古い言い方ですとカラーフィールド・ペインティング)が、絵画という装置に求めたものがアーティスト又は観客と超越的な世界との出合いの場だったならば、もはや絵画の構造上、絵の具を三次元の似姿として用いる意味はなく、アーティストの一般社会を超越した世界観を表現する上では寧ろ旧弊な邪魔なやり方と看做され、抽象表現主義絵画は具象的イメージに代わって、装置としての強硬な物質性を必要としたのだと思います。古典絵画の支持体は当然物質的ではありますが、それはその装置上具象的イメージを自己完結的に定着する必要からであり、どんなに宗教的、政治的、文学的主題をテーマとしようと、真に平面空間内で展開する絵画でした。
 しかし、抽象表現主義絵画は観客に主観的な色彩彫刻を体感させます。
こうも言い換えることができるかと思います。

観客が抽象表現主義絵画を鑑賞する際、空気しかないはずの観客と大画面の作品の間にまで、
作品の世界観が、空間に侵食し充満する。

絵画が彫刻的空間性を得たという意味で、例えばポロックのオールオーバーな絵画がファウンド・オブジェクトの使用もさることながら、彫刻的空間性を伴うと言う意味で物質的な、只の物質的な、(旧来の古典絵画に似通っているが全く違う効果を伴う)装置だったことは、注目すべき特徴です。
 絵画の装置自体の物質性の追求に及んだ抽象表現主義を、古典絵画の終着点、又はそれ以降、「芸術」の本質を再考し始めた「特異点」と看做してよいかと思います。(カンディンスキー、ミロなどヨーロッパ抽象絵画の土壌も記しておかねばならないかと思います。) 
 「絵画が絵画的である必然性がなくなった」、(欧米の)美術史上を眺めまわしても、抽象表現主義のアーティストの姿勢を反面教師にしたポップ・アート、抽象表現主義の物質性、これを最小限度の要素に切り詰めていったミニマリズムなどの直接的な影響、または「芸術」を広義に捉えたコンセプチュアルアート、ランドアート、インスタレーションなど、次世代に、多くの分野に与えた影響は計り知れないです。             
 最後にアーティストと観客のイマジネーションに敬意を表して、レポートを終えたいと思います。 





<参考資料>   
 参考文献:20世紀の美術家500 原著作:PHAIDON PRESS LIMITED  美術出版社 
   シュルレアリスム宣言・溶ける魚 著者:アンドレ・ブルトン 岩波出版社
      西洋美術史研究 で配付されたプリント

 参考サイト:DNP MUSEUM INFORMATION JAPAN [ARTSCAPE]
       北九州市立美術館 著者:黒岩恭介           [抽象表現主義]
NEW -YORK-ART.COM [アート用語・抽象表現主義]
MISTRAL-JAPAN メール筆者:黒川芳朱(映像作家/スタン・ブラッケージ回顧展実行委員        
       会)        
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